サインを受けた私は何気なく髪の毛を直す

子供達には毎日自由にのびのびと育ち

付き合うようになったのは髪が生えてからだったのだが、それは髪が増えたからというより、自信がまぁ、ついたからだろう。稀に「ハゲてる男がダンディーで好き!」という女性も存在するらしいが、見た目でハゲていることがプラス評価になることは確かに少ないと思う。しかし、マイナス評価であっても、後からいくらでも評価を挽回することはできる。なんならマイナスであったはずの部分をプラスに変えることだってできる。僕の場合、最近はもう先手を打って自分から髪の話題を出すようにしている別にもう見た目に髪が薄いわけではわざわざ自分から話題にする必要もないのだけど。ないから、もしかすると過去の自分への戒めのようなものかもしれない。前は髪がなくて困ってたんですよ全然、え?全然、そんな風には見えないですけどいやいや、前はこんな感じで……
といってこのブログの治療開始前の写真を見せて、相手を驚かす、というのをもはや持ちネタみたいにしている。「どうせハゲているから何をやっても意味が無い」というのは、最初から挽回の機会を放棄することに他ならない。そういう態度を取る人を見ていると、ハゲている自分を受け入れることが出来ないにしても、少なくとも髪を生やす方法はあるんだから試してみればいいじゃない、と僕は感じる。まぁ、かく言う僕もかつてはハゲに人権はないと言っていたわけなんだけど。生まれつきの容姿はどうしようもないから、誰もがイケメンになることはできない。だけど、誰でも雰囲気イケメンにはなることができる。それはハゲていたとしても例外ではない。ハゲ頭の雰囲気イケメンを僕は何人も知っている。例えば上で出てきた営業さんとか。自信が魅力をつくる究極的には、ハゲているか?ハゲていないか?ではなく、自信があるか?自信がないか?だ。異性にモテるかどうかに限った話ではなく、人間としての魅力は究極的には自信があるかないかに集約される。髪がフサフサでも、自信がなくおどおどしているヤツはつまらないし、ハゲ散らかしてても自信をもって生きているヤツはおもしろい。厳しい言い方をすれば、ハゲているから……というのは言い訳に過ぎない。
モテないのは、ハゲているせいだ。


バカにされるのは、ハゲているせいだ。人前で堂々としていられないのは、ハゲているせいだ。仕事がうまくいかないのは、ハゲているせいだ。自信が持てないのは、ハゲているせいだ。それは言い訳なのだ。自分に自信が持てない理由を薄毛に求めているだけ。だから、結局、自信をつけるというステップをすっとばして髪だけ生やしても、何も解決しない。突然、自分の薄毛を自虐的にネタにできる人は少ないだろう。というか、それが最初っからできるんだったら、そこまで真剣に薄毛に悩むことは無いと思う。僕もいきなりは無理だったし、今すぐハゲても平気かと聞かれれば、大手を振ってイエスとは言いがたい。最初はAGA治療薬に頼っていい。だから、僕はそう考えている。自信をつけることはとても難しい。一朝一夕では到底できない。幼少期の経験によって自信が欠損している人もいるし、みんないろんなトラウマを持っている。だけど、僕には自信がある。
なんでもできるわけではない。できないことのほうが多い。むしろ、片付けはできないし、約束も守れない。ブログで書く、と宣言した記事も半分以上、書いていない気がするできないことだらけ。ただ、しかし、なんとなくだけど、自分は大丈夫だという漠然とした自信がある。できないことはたくさんあるけど、それでも許されている感覚だろうか。誰に認められなくても、自分だけは自分を認められるという感覚かもしれない。多分、万人に通用する自信の身につけ方、みたいなものはない。歩んできた人生は違い、受けてきた傷は違うのだから。人それぞれ、ただ、それでも、自信をつけるためには。自ら挑戦し、失敗し、泥まみれになりながら前進するしかない。大丈夫。大抵の失敗ならあとからどうとでもなる。僕なんて、事故って頭打って救急車で運ばれたり、告ってはフラレを繰り返したり、大学を中退したり、うつ病になったり、いろいろ失敗しまくっているけど、まだ、元気に生きている。
大丈夫。

きちんと薄毛予防できる

  • ほとんどの女性が髪のある男性を選び
  • 髪の弾力と水分保持力の低下を招き
  • 髪は傷んでいない


髪の毛の成長も弱まっていきます。


体毛だけ濃くなって

たまたま、薄毛という悩みトラウマを持ったもの同士、AGA治療を通して自信を取り戻して行きませんか?というのが僕の提案。結局、AGA治療も自信をつけるための一つの手段でしかない。毛が生えたからといってモテるようになるか?と言われれば、答えはノー毛が生えたからといって仕事がうまくいくか?と言われても、答えはノー毛が生えた結果として、自信がおそらく、仕事だろうが、恋愛だろうが、おそらく人生のすべてがうまく回り出す。ついたのなら、しかし、だから、AGA治療は自信をつけるための手段の1つなのだ。よく、「髪は増やしたいけど、副作用が怖いのでAGA治療薬は飲みたくない」という人がいる。確かにデータ上リスクは低いが、AGA治療薬を飲むことによるリスクはゼロではない。じゃあ、AGA治療薬は飲まないほうがいいのか?という話になってくるのだが、それはもう人によるとしか言い様がない。飲んだほうが幸せになれる人もいるだろうし、飲んだことによって不幸になる人もいるだろう。飲まなかったことで幸福になれる人もいれば、飲まなかったことで不幸になる人もいるだろう。
例えば、薬を飲んで髪が生えたことによって、前向きに生きることが出来たら。それで副作用を帳消しにするほど、前向きになれたのなら、その人にとっては薬を飲んだことで幸せになれたと言えるだろう。薬を飲んで髪が生えたけど、いつもその人が副作用に怯えていたとしたら。逆に、副作用に怯えて何も手につかなくなっていたとしたら、その人にとっては薬を飲んだことによって不幸になったと言えるだろう。どっちに転ぶかは当人の心構え次第ということだ。結局、自らの道本当の意味で自信をつけるためには、自らが道を切り開くしかない。

自作の育菌剤をつくりましょう。

僕がこの育毛剤生えますよ、というのは簡単だ。それで信じれたような気分になれるかもしれない。しかし、それは自信と呼ぶには程遠い。借り物の自信だ。自らの手で手に入れたものでない借り物の自信は、ちょっとした刺激で簡単に崩れ去る。どこかでその育毛剤に関する批判的な記事を見たとか、そんなことで。
究極的には、自分なりの自分だけの治療法を確立するしかない内服薬を使って治療するのでもいい外用薬を使って治療するのでもいい医薬品に頼らずに治療するのでもいい民間療法的なもので治療するのでもいい場合によってはカツラも立派な治療方法かもしれないあるいは、全く治療をせず自然のなすがままにしているのが、最善の「治療」になる場合もあるだろう。自分なりの治療法、すなわち自分なりのハゲとの付き合い方を探して欲しい。そして、僕もまだ、自分なりのハゲとの付き合い方を模索している最中だ。どの育毛剤が効いたとか、どの治療法が効果的だとか、そういったことも書いているけど、それ以上に価値が有るのは、僕が「自分なりのハゲとの付き合い方」を模索しているその姿だ。読者の方々はその姿を見て、自分なりのハゲとの付き合い方を考えてみて欲しい。そうやって試行錯誤していけば、必ず気づくはずだ。そこら中に転がっている希望に。
子供時代私がハゲたのは、絶望的なショックを受ける裏切りを経験したからです。当然相手がいる訳ですが、その相手と出会い、親密になったのは子供時代の家庭環境も大きく影響しています。ですので、まずは私の子供時代の事を簡単に説明しますね。私の子供時代は、酒乱の父に怯えて過ごす日々でした。お酒が入っている時に、機嫌を損なう状況になると、人や物に当たり散らすんです。シラフの時も、短気で我慢が出来ない人で、すぐに手を出していましたが、お酒が入るともう大変な事になります。母は一升瓶で殴られ、血尿が出るようになったり、殴られて耳の鼓膜が破れたりで、何度も入院していたり…。背中を刺された時のワンピースを見せてもらった事もありますし、母の鼻は曲がっています。1度手術した耳の鼓膜も、また殴られて破られたそうで、とても痛い思いをして手術を受けたらしく、またそんなに痛い思いをして手術はしたくなかったと、そのままになっており、片方の耳が聞こえません。何度も警察沙汰になりましたし、保釈金を払わなければ刑務所って事もありました。(汗)小学2年までは、両親が店をやっていて別に暮らしていたので、小学3年から高校この父と暮らす事になったのですが…。卒業までの9年間を、この9年間は、思い出すのも嫌になる程、辛く、悔しく、耐え難い、父に怯える日々でした。父の機嫌が悪くならないように、父の機嫌を取りながらの生活。


毛髪の損傷部位に吸着して

育毛剤や発毛剤

毎日ビクビクしながら、父が暴れている時は、必死で恐怖と闘っていました。
抑圧され、自由のない、我慢我慢の生活を強いられた9年間だったのです。
初めての1人暮らしと出会い高校卒業後上京し、音楽系の専門学校に進学しました。高校在学中に軽音楽部を立ち上げ、毎日バンド活動に明け暮れ、音楽漬けの毎日でしたし、学校以外でもレディースバンドのボーカルとして活動し、ライブハウスでライブ活動もしていました。バンドでメジャーデビューするのが夢だったので、高校卒業後、自分で働きながら学校に通えるよう、新聞奨学生の制度を利用し、上京しました。学校が西新宿近辺にあったので、西武新宿線沿いの駅近くにある新聞店に入り、夕働きながら学校に通いました。賄いとして朝、4畳半1間でしたが、キッチンとトイレは付いていました。人1人がやっと入れるくらいの狭いキッチンに、ドアを閉めるといっぱいいっぱいになるトイレでしたが…。(苦笑)ベッドを置いたら、下に座る場所もなくなるような部屋でしたが、これまで抑圧されまくった生活をしていた私には最高のお城でした。誰にも邪魔されない、気を遣う事もない、私だけの自由な生活を手に入れたのです。地元の音短大に行け!と言う父と、取っ組み合いのケンカをしてまで入ったミュージックスクールでしたが、長くは続きませんでした。結局段々と通う回数が減り、そのうち行か1年で退学しました。(汗)なくなり、ただ父から一刻も早く逃れて、上京する事で離れたかっただけだと思います。(汗)学校に行くのを止めてからは、学校に行っていた時間帯は寝て過ごせるようになり、賄いの仕事が終わってからも新聞店に残るようになりました。


別に髪は薄くならないからです。

お店の専業さんや店長に、沢山遊びに連れて行ってもらいました。(笑)お酒も覚えていた私は、近所のスナックに良く連れて行ってもらいましたよ。(笑)
お酒飲んで、カラオケ歌って、楽しくて仕方ない。楽しい方を選んだんですね。抑圧されて来た私は、若かったし…。(汗)その職場で主任だった人と付き合うようになりました。私より一回り(12才)年上で、大人で…。この人が後に、私がハゲる原因になるのですが…。当時の私は知る訳もなく、何故か惹かれていたんです。(汗)どこにそんなに惹かれていたのか…。(汗)
初めての結婚生活と円形脱毛症主任と言う立場の人が、預っている学生と付き合うなんて…。当然スムーズに行く訳もなく、店長は勿論、所長まで出て来て別れさせようとしました。ですが、主任は一切引かず、真剣である事を訴え続け、そこまで言うのならと、所長が折れる形で、どうにか認めてもらえました。店長や所長が別れさせようと、色んな手段で主任を攻める中、一切引かず訴え続けてくれた事が嬉しくて…。本当にこの人は私を愛してくれているんだ。と思っていましたし、私も同じように愛していると思っていました。反対されればされる程、当人達は熱くなる…。(汗)「恋は盲目」って言いますが、本当にそうでしたね。(汗)そして妊娠…。安定期の5ヶ月を過ぎてから、「結婚」と言う結論に至りました。両親に許可を取りに行く。5ヶ月を過ぎて、両親に会いに行くつもりでしたが、やはり怖かったので手紙を書きました。(汗)直ぐに手紙を読んだ父から電話がかかって来ました。5ヶ月を過ぎていて、もう堕ろせない現実もあり、だったら筋を通して、きちんと結納もして、結婚しなさい!と言われました。(汗)それから主任も主任の両親に連絡を入れ、結納の日付など、バタバタと段取りし、なんとか出産予定日の1ヶ月前に入籍までたどり着けました。(汗)1992年の12月、私は正式に結婚しました。
この時の私は、これから生まれて来る我が子と、私を本当に愛してくれる夫と3人で、それはそれは幸せいっぱいな生活が待っていると信じていました。付き合っていた頃から、半同棲の生活でしたから、新婚と言ってもその延長のようなもので、何かが特別に変わる事はありませんでした。